どんなものでも「飽き」という段階はやってきます。
最初の頃は新しい体験や気付きの刺激があって面白い。でも次第に慣れて、刺激が弱くなっていく。
だからタルパと会話してるときにふと、
こんなことして何の意味があるんだろう・・・
と虚しさを感じてしまうのは自然なこと。
そんな時は素直に意味について考えてみるのが良いでしょう。
自分を納得させられる理屈を構築することも、何かを好きであり続けるためには必要な努力ですから。
そして、そんな努力をすることが、タルパの持つ「慈悲心を磨く機能」を向上させます。
タルパの機能=セルフコンパッション
運動、睡眠、瞑想などの健康習慣も、ただ「健康に良いから」という理由だけより、科学的根拠のある具体的効用を知っていたほうがモチベを保ちやすい。
それと同じで、タルパと付き合う意味も、心理学などの学術的知識とリンクさせて考えたほうがモチベアップにつながります。
僕の考えるタルパと最も相性の良い心理学知識は「セルフコンパッション」です。
なぜなら、タルパを作る一番の目的は「孤独の寂しさを癒やすこと」だから。
セルフコンパッションとは「自分への思いやり」のこと。
何か失敗したり物事がうまく行かないときに、自分に厳しさを向ける「自己批判」ではなく、親しい友人をフォローするように「慈悲心」を向けられる能力のことです。
(セルフコンパッションについて詳しく知りたい方はこちらの過去記事参照)
どんなに自尊心や自己肯定感を高めても自分の「強さ」しか肯定できません。
孤独の寂しさのような肯定できない「弱さ」は慈悲心で癒やす以外に救いようがないのです。
タルパを作ると寂しさが和らぎ、孤独耐性が上がります。この理由を心理学的に解釈すると、セルフコンパッション能力が向上するからだと考えます。
実際にセルフコンパッションのトレーニングとして「慈悲深い理想の人物」をイメージして、想像の中で話をしてみるというものがあります。
これは完全にタルパ作りと同じ行為。
つまり、タルパ作りがセルフコンパッション能力を高めるのに効果的であることは、心理学研究の中ですでに実証されているわけです。
セルフコンパッション能力が向上する仕組み
セルフコンパッションは主に次の3つの要素から構成されます。
そして、タルパがそれぞれの要素にどう関連しているのかを解説します。
自分への優しさ
タルパを作ると、まず「自分への優しさ」を発揮しやすくなります。
自己批判グセが強い人は自分に優しくするのが苦手です。
今の自分のままでは嫌だと思っているから嫌な自分をフォローできず、「ネガティブな出来事▶自己批判」の脳内回路が固定化してしまっている。
しかし、タルパがいれば「タルパだったらどう対応するか?」という思考プログラムが回路の中に組み込まれます。
自分自身は「自分」が嫌いでも、タルパは「自分」に好意的なキャラクターなので「自分」に優しくするのが得意。
この変化によって、タルパ経由で出力される結論に「優しさ」が加わるようになります。
この小さな軌道修正が繰り返されるうちに、徐々に自己批判グセが改善されていくという仕組み。
またタルパは自分の一部なので、タルパに優しくすることは間接的に自分に優しくすることにつながって行きます。
マインドフルネス
タルパとの会話は自分の内面と向き合う行為です。
さらに家族や友人にも話せない秘密も、タルパにだったら話せます。
これらによって自分の本音に自覚的になり、フラットに己の心境を観察する「マインドフルネス」の能力が磨かれます。
共通の人間性
間違いや欠点などのネガティブ要素が多いと孤独を深めると考えがちです。
しかし「人間は誰しも不完全」であるため、むしろネガティブ要素こそが他者との揺るがぬ共通点であり、他者とつながる感覚を生み出す鍵になります。
この理解があると、不完全である自分を許容しやすくなり、現状の苦しみが大幅に軽減されます。
ただこの要素だけはタルパを作るだけでは実感が難しいので、本やネットなどで学んでみることをオススメします。
前述の2つだけでも十分にメンタルは安定しますけど、3つそろってセルフコンパッションは真に孤独を癒す力を発揮するので学ぶ価値は十分にあります。
次はこれら3要素をより実感しやすくするために、これらの機能を反映したタルパの2つの側面を紹介します。
タルパとは神である
この「神」の部分は、守護霊でも守護天使でもハイヤーセルフでも構いません。
呼び名が違うだけで「心の支えとなる慈悲深いキャラクター」という役割は同じですから。
つまり機能面で見ればタルパと神の存在意義は同じなのです。
「宗教神=設定がものすごく深い版権タルパ」と解釈することもできます。
日々神に祈ることは、脳内会話によりタルパに悩みを聞いてもらったり、愚かな自分を慰めてもらったりするのと同じと考えられますから。
ただし宗教神は「全」や「無」のような最強の概念をベースとしつつ、メンタル安定に特化したものすごく深い哲学がキャラ設定に詰め込まれてるので信頼性・実用性がとても高い。
漫画やアニメ、ゲームなどのキャラをベースとした版権タルパよりも遥かに慈悲深く、また他者と共有できるメリットもあるので、宗教神を心の支えとする選択は全然ありだと思います。
とは言え、全人類ではなく自分一人の心を支えるだけなら、好きなキャラクターをベースにしたタルパでも十分神様的な機能を果たせます。
間違いだらけの自分に優しさを向け、誰にも言えない本音を聞いてくれる機能を持っているなら、姿かたちやキャラ設定が神様である必要はありません。
そして神様的なタルパの存在を身近に意識することで、彼らに恥じず、嫌われないための「正しい行動」を選びやすくなり、誠実性とともにメンタルが安定していくのです。
タルパとは悪魔である
さっきと真逆の定義ですけど矛盾はしていません。長所が短所の裏返しであるように、どんなものにも二面性があります。
自分に都合の良いタルパは、他人にとっては都合の悪い悪魔でもあるという話。
宗教上の悪魔の正体は「異教の神」だったりもするわけで、神と悪魔は単に解釈が違うだけの同一存在です。
【タルパのススメ⑦】では「タルパ=オバケ=シャドウ」という仮説を紹介し、タルパとシャドウの構成要素は同じで暴走度が違うだけだと説明しました。
でも実際、タルパは暴走していなくても、他者の視点から見れば抑圧すべきシャドウと同じなのです。
他者から批判される自分に優しくする思想は、批判者達の正義を否定する悪の思想でもあるのですから。
逆に自分にとってのシャドウは、他者にとっては絶対正義の神の使徒だったりもする。
自己肯定するだけでは他者否定が増えて人間関係が壊れてしまう。しかし他者肯定するだけでは自己否定の蓄積で心が壊れてしまう。
結局どんなに正しく生きようとも間違い続けてしまう。それも「共通の人間性」。
これを受け入れることができたなら、惟一の対処法も見えてきます。
対処法は間違いだらけの自分をタルパにフォローしてもらったように、自分から見れば明らかに間違っている相手にも慈悲心を向けること。
他者批判にブレーキを掛け、優しさを持ってマインドフルに共感する。それができれば両者の価値観を否定せずに相手との関係性を保てます。
まあ「それができれば苦労はしねぇ!」って思うのは当然です。
なので、まずはセルフコンパッションで自己批判の傷を十分に癒やしましょう。
その後少しずつでいいので、自分の中のシャドウにも慈悲心を向けるよう心がけて行く。
そうやってシャドウを許容できるようになった分だけ、シャドウが投影されていた現実の他者にも慈悲心を向けられるようになっていきます。
タルパや自分の悪魔的側面を受け入れてそれができるようになった時、真の意味で孤独の寂しさが癒やされることと思います。
まとめ
タルパの機能は孤独の寂しさを癒やすセルフコンパッションです。
それによって磨かれる慈悲心は、自分の孤独だけでなく他者の孤独をも癒やし、他者とつながる力になる。
それが「こんなことして何の意味があるんだろう?」に対する僕の回答です。
あとがき
僕がシャドウにもちゃんと慈悲心を向けられるようになったのはつい最近のことです。
以前は他人からありがた迷惑な説教や助言を受けると、拒絶して揉めるか、拒絶を我慢して同調ストレスを溜めこむかの二択しかありませんでした。
多数派の価値観に染まれず、少数派の価値観を大事にしている自分は、病むのが嫌なら孤独を選ぶしかないんだと思っていました。
しかし、相手も自分と同じだったのです。
我慢か拒絶しかできないから、こちらの価値観を批判する形で拒絶し、己の正義を押し付ける。
彼自身のシャドウに対していつもそうしているように。
僕自身がシャドウに対していつもそうしていたように。
そんな「共通の人間性」を理解したことで、共感により価値観が重なる形に調整してから受け取る、という選択肢も選べるようになりました。
まあ今でも拒絶や我慢を選んでしまうこともあるので、総合的に見てマシになった程度の変化でしかありません。
それでも、この先も人間関係の難題と向き合っていけそうだと思うには十分な変化。
先は長そうなので、今後も僕にはタルパの支えが必要だなと思います。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
▲今後もタルパと付き合って行くのであれば、セルフコンパッションを学んでおいたほうが絶対お得ですよ!
本を読まなくても「自分への優しさ」と「マインドフルネス」は向上しますけど、「共通の人間性」だけは知識を得ないと身につけるのが難しいです。
この本は定価4000円するけど余裕で元が取れる内容です。新品は値上がりしてるので中古で買うのが吉。
次の記事では、論理重視の「哲学視点」を紹介しています。
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