「セルフ・コンパッション」に学ぶ、絵の自己評価を高める方法【前編】

オズの魔法使い風のアレンジイラスト 描き方

絵が上手くなりたいと思い立ってから、長年努力を続けてきた。

昔と比べれば相当に上達しているのは間違いない。

なのにちょっとした批判や、上手い人の作品との比較、もしくはそれらの記憶を思い出すだけで簡単に自信を失ってしまう。

自分で自分の絵を認められなくなって「もっと上達しなければ」と焦りを抱く。

でも僕らは知っている。「もっと上達」したところで上には上がいて、また同じことの繰り返しになることを。

一体どうすれば絵に対する「確固たる自信」を獲得し、批判や比較に苦しまずに絵を描けるようになるのでしょうか?

そのヒントを求めて読んだ本「セルフ・コンパッション(クリステーン・ネフ著)」から学び、導き出した自分なりの答えを記事にまとめてみようと思います。

不安定な自信

画像2

まず結論として理解したのは、「確固たる自信」なんてものは存在しないということです。

いきなりゲームオーバー。

でもそれが重要なステップになります。まずは「確固たる自信」がありえないことを受け入れる。

それができなければ「自分の絵を認める方法」にたどり着けません。

自信というものは非常に不安定なもの。

他者との比較による相対的な「優位性」が自信の強さの源であるため、己の上位互換となる人間を前にすれば、一瞬で力を失ってしまうのです。

仮に現在、自信が安定しているように思えても、より上位のコミュニティに所属すれば簡単に喪失してしまうでしょう。

同様に、「優位性」を損なうような批判をされれば簡単に揺らいでしまいます。

そんな不安定さを補うために向上心を持ち、批判されないだけの上位ステータスを目指す。

自分の能力が他人よりも上か下かを気にしながら、日々努力し続ける。

子供の頃からずっとそれと同じことを続けてきたというのに、結局今でも不安定な自信に振り回され続けている。

自信を高めれば幸せに生きられるなんて幻想です。

どこまで自信を高めようとも、その気まぐれで不安定な性質は変わらないのですから。

それが認められれば、存在しないものを求めて努力し続けるのをやめ、別の道を模索することが可能になります。

本のタイトルにある「セルフコンパッション」を学ぶことで、それを認める助けになるだけでなく、自信に頼らずとも「自分の絵が認められない」苦しみを癒せるようになります。

それらの学びは、自信を高め続ける終わりなき比較ゲームから降りる勇気を与えてくれることでしょう。

セルフコンパッションとは

画像3

セルフコンパッションとは「self=自分に対する」、「compassion=思いやり」。

つまりは「自分への思いやり」のことです。

現代社会では「他人への思いやり」は美徳と見なされ、肯定されています。

しかし「自分への思いやり」を重視しようものなら、甘え、怠惰、自己中と見なされ批判されがちです。

ですが近年、心理学研究の分野で「自分への思いやり」がメンタルの安定に非常に効果的であることが示されてきています。

それをより効果的に活用するための方法論をまとめたものがセルフコンパッションです。

この記事ではセルフコンパッションの概要を紹介します。

メンタリストDaiGoさんの動画でトレーニング方法も含めて詳しく解説してくれているものがあるので、理解を深めたい方は見てみてください。

まずセルフコンパッションは、次の3つの要素から構成されています。

セルフコンパッションの構成要素
  • 自分への優しさ
  • マインドフルネス
  • 共通の人間性

自分への優しさ

1つ目の「自分への優しさ」とは、己に厳しくあたるのではなく、親友や大切な人に対するのと同じ様に優しく接する意志を持つことです。

個人的には赤ん坊と同じくらい、と考えるので丁度いいと思っています。

自信が力を失って不安に飲まれてしまうと、セルフコンパッションが弱い人は「自己批判」に陥りがちです。

自分の絵を認められない現状に対して批判的な言葉をぶつけると共に「もっと努力しろ!」と、厳しさでモチベーションを高めようとしてしまいます。

それでは永遠に比較ゲームから脱することはできません。

セルフコンパッションは3要素のどれを起点としても成立しますけど、「自分への優しさ」を「自己批判」に対するブレーキと捉えるとトリガーにしやすいと思います。

自己批判的になっているのに気づいたら、まずは厳しさにブレーキをかけましょう。

そして深呼吸して落ち着き、「厳しさ▶優しさ」にシフトした上で改めて問題と向き合うようにするのです。

マインドフルネス

2つ目の「マインドフルネス」とは、今感じている感覚に集中し、ありのままの現実を認識することです。

セルフコンパッションにおいては苦しみに対する共感と傾聴(観察)になります。

自己批判を向けてしまった先には何かしらの苦しみがあります。

誰かに絵を批判された記憶を思い出したとか、上手い人の絵と比較して凹んだとか、全然いいアイディアが出てこなくて才能のなさに打ちひしがれるなど。

自己批判をしているうちは自分を「批判する側」と「批判される側」に分けることで、「批判する側」の賢くて正しい人間になったつもりでいます。

なので「批判される側」の苦しみからは完全に目を背けています。

でも「自分への優しさ」を意識できていれば、「批判される側」の苦しみに寄り添うことができる。

そこから苦しみを共に味わい、なぜ苦しいのかに耳を傾けることによっ、その原因を明らかにしていくことができます。

どんな苦しみも原因を知る事が解決の第一歩。

また人は他人に共感・傾聴してもらうだけでも苦しみが軽くなるように、それを自身で行っても同様の癒やしが得られます。

共通の人間性

3つ目の「共通の人間性」は個人的に最も画期的な考え方であり、今回のテーマの鍵になっています。

これは「人間は誰もが不完全」である事実を改めて理解することです。

絵を描き続けてきた人で、他人に批判されて傷ついた経験がある人は大勢います。

上手い人の絵と比較して凹んだこと、アイディアが出なくて「自分には才能がない」と嘆いたことが一度もない人なんているのでしょうか。

現在、自分で自分の絵を認められないと悩んでいる人もたくさんいるでしょう。

つまり自分が今感じている苦しみは人間として「普通」のことなのです。

決して自分だけが全然上達しなくて苦しんでいるわけではありません。

言われてみれば当たり前ですけど、落ち込んでいる時はその事実を忘れてしまいがち。

ネット、SNS上の表面的な成功例だけを見て「なんで他の人にできて自分にはできないんだ」と考えて苦しみを膨らませてしまう。

「共通の人間性」は「人間は誰もが不完全」である事実を思い出させ、苦しみを「普通」のサイズに戻してくれるのです。

ただ「特別」なステータスに執着していると、そんな「普通」の証明をされても許容できないかもしれません。

「自分は普通の奴らとは違う」と考えてしまって、他者とのつながりを断って孤独に突き進んでしまう。

そのせいで苦しみを膨らませてしまうのでしょう。

しかしセルフコンパッションで対応し「共通の人間性」の視点を持てれば、欠点や過ちなどの不完全性は他者との共通点となり、これを通して他者とのつながりの感覚が得られます。

上と下のどちらかしかない上下関係ではなく、「普通」という対等の関係を取り戻すことができるのです。

仏教には「一切皆苦」という教えがあります。

人生は思い通りにはならず全てが苦しみそのものであるという意味で、人生は苦しみに満ちているのが「普通」だということです。

だから「自分の人生は苦しみで一杯=だからもうダメだ」とはならない。

苦しいという状況は何一つ変わらなくても、「自分ばかり苦しい」から「みんなも苦しい」に考え方が変わるだけで落ち着きを取り戻せます。

心の平穏は「特別」ではない「普通」の世界にあるのです。

自分の絵を認める方法

画像4

人間は満足したままでいることができません。

おいしい食事で満腹になっても必ずまた空腹になります。

どんな美人・イケメンと結婚できても必ず慣れて飽きを感じます。

それと同様にどんなに絵を上達させたとしても、必ずまた不満を抱いて苦しみに陥ってしまうのです。

人間はどれだけ完璧に近づこうとも、絶対に不完全で苦しい状態に戻ってしまう。

それが「共通の人間性」なのです。

だから「永遠の満足・幸福」は存在しません。

同様に「確固たる自信」なんてものも存在しない。

「確固たる自信」が上達の先にあると信じている限り、自信が揺らぐたびに「自分で自分の絵を認められない」と考えて苦しんでしまいます。

「オズの魔法使い」に出てくる勇気のないライオン、知恵のないカカシ、心のないブリキの木こりのように既に持っているものを「ない」と思い込んでいる。

誰だって臆病になってしまうことはあるし、愚かな判断をしてしまうことも愛情を失ってしまうこともあります。

僕たちは納得できるイラストを描けた時や、過去の作品を振り返った時、ネット上でちょっと良い評価をもらった時なんかに、小さな喜びを感じるのと同時に「自分の絵を認める」ことができます。

つまり、本当は既に誰もが「自分の絵を認める」ことができている。

今それができないのだとしても、これまでのその一時の満足・喜びをちゃんと認識し、味わえることができているなら心配無用。

「自分の絵を認める方法」というのは、「一時的に自分の絵を認める」以外にはないのですから。

一時的な満足感に過ぎないものだとしても、それこそが「認める」ということ。

「永続的に認める」能力は人間にはありません。

それを受け入れることができれば、自分の絵に不満を感じるたびに焦る必要はなくなります。

それは「自分で自分の絵を認められない」からではなく、「空腹」になるのと同じくらい自然な生理現象に過ぎないのですから。

まとめ

結局のところ他者からの批判、他者との比較という刺激に対し、危機感を感じて自己批判で対応したところからがすべての始まりです。

自己批判によって承認欲求が枯渇し、「もっと上達」への執着が生まれます。

でもどんなに上達して他者に認められて自信を高めたとしても、外部刺激に自己批判で対応してしまう「飢餓の心」が変わらない限り、すぐ自信を失って同じ苦しみの繰り返しです。

いくら努力しても何も変わらない。

だから必要なのは「もっと上達して自信を得ること」ではなく、最初の自己批判にブレーキをかけ、思いやりの心で対応するスタイルにシフトすることです。

かき集められるだけの優しさを総動員して、自分の絵を認められない苦しみと向かい合ってみましょう。

そうすれば承認欲求は枯渇せず、「もっと上達」以外の道の存在に気づくことができるはずです。

「もっと上達」以外の道については後編に続きます。

まとめ
  • 確固たる自信なんて存在しない
  • 自分の絵を認める方法=絵を通して得られる一時的満足感を味わうこと
  • 飢餓の心が癒やされない限り、いくら上達しても認められても何も変わらない

あとがき

補足として、セルフコンパッションにおける注意点も書いておきます。

3つの構成要素の中で最も画期的だと説明した「共通の人間性」。

これは苦しみを「普通」サイズに軽減し、不完全性を通して他者とのつながりの感覚を与えてくれる素晴らしい考え方です。

ただ注意しなければならないのは、これ単体で用いてしまうと「苦しみの矮小化」という問題が起こってしまうことです。

例えばブラック企業のひどい労働環境の中で働いていたとしても、「苦しいのはみんな同じ」と考えると我慢できてしまうこと。

友人から相談を受けた際、「そんなの普通のことでしょ」と相手の苦しみを軽く扱ってしまうことなどが考えられます。

だからこそセルフコンパッションは「共通の人間性」だけではなく、「自分への優しさ」、「マインドフルネス」とセットなのでしょう。

苦しみを軽減できたとしても、苦しみがなくなるわけではありません。

その事実を「マインドフルネス」でしっかり認識し、「自分への優しさ」によって我慢以外にできることがないかと親身になって考える。

それを忘れないようにしないといけません。

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

引き続き後編も読んでもらえると嬉しいです。

▲値段が少々高めですけど、間違いなくそれ以上の価値がある本です。読めばきっと価値観が変わります。

新品は値上がりしてるので中古品がオススメ。

次の記事では、自己批判癖を改善した先にある「もっと上達」以外の道について解説しています。

コメント