絵を描きたい気持ちはあるんだけど、いざ描こうとすると何も描けない・・・
この悩みって絵描きあるあるのようで、ネット検索すると解消法がたくさん出てきます。
しかし僕はこれらをすべて試しても解消できませんでした。
そうなるともう自分で解消法を考えるしかありません。
その後必死で悩みと向き合い、導き出した出した答えは王道からかけ離れた邪道な方法でした。
それでも見事に悩みを解消できた方法なので、現在悩みの中にいる人は一度試してみてください。
描きたいけど描けない悩みの原因
この悩みの原因は「絵に対する苦手意識」です。
過去の「描きたいけど描けなかった苦い記憶」が蓄積していて、「また描けないかもしれない・・・」と描くことへの抵抗感になってしまっている。
その恐れがプレッシャーとなってより描けなくなり、さらに苦手意識が強化されていく負のサイクルに陥っています。
でも子供の頃は苦手意識なんて持たずに描けていたはず。一体いつから僕らは苦手意識を抱くようになってしまったのでしょうか?
僕のキッカケは「他人からの否定評価」でした。
覚えている最初の否定評価は、小学4~5年の頃に学童の後輩から言われた「変なの」の一言でした。
その時から「自分の絵は変なのかもしれない」と思うようになり、上手い・下手を意識するようになっていったと記憶しています。
自分ではいい出来だと思っていても「微妙」、「イマイチ」、「あんまり上手くないね」みたいなことを言われたら当然傷つきますし、自分の絵が人目につくのが恥ずかしくなってくる。
回数が重なれば苦手意識は徐々に強度を増して行きます。
最終的には他人に絵を見せるのをやめる。人目のつく場所では描かないようになる。
否定評価に反論してもダメージは軽減できないですから、否定しそうな人には最初から絵を見せない判断は間違いではありません。
しかしそうやって基本誰にも見せなければ安全になるかというと、実は違う。
「絵を人に見られたくない」という欲求の裏には、「なぜなら自分の絵は下手だから」という自分自身による否定が隠れているからです。
誰にも見られていない状況でこそ、自分自身が世界で一番の否定者であることに気付かされます。
「絵を人に見られたくない」という欲求を持ち続けている限り、絵に対する苦手意識はなくならない。他者の否定はキッカケに過ぎなくて、苦手意識の最大の要因は自分自身にある。
ペンを持って白紙に向かうことが恐くて億劫なのは「自分にも絵を見せたくない」から。何か描けば即座に「やっぱ自分は下手くそだな・・・」と否定されるのが恐いからだ。
そんなクソみたいな状況を打開して絵を楽しめるようになりたいと願うなら、「他人に絵を見られる恐怖」と対峙しなければなりません。
それこそが苦手意識を克服するための必須条件です。
選んではいけない2つのルート
ただし、ここで陥りがちな選択ミスが2つあります。というか僕が陥った選択ミスです。
どちらも苦手意識克服の可能性がゼロとは言いませんが、茨の道であることは間違いありません。
選択ミスその1:ハズレルート
1つ目は「下手でも構わない」と開き直って、人に絵を見せることに慣れようとする方法。
プライドや羞恥心を捨てて「絵を人に見られる恐怖」に挑むのは一見勇敢で潔く見えます。
でも、これでは何も問題が解決していません。
苦手意識は他人の否定評価によって強化されます。自分自身が「下手」と認識しているものを他人が肯定してくれる可能性は低いでしょう。
仮に肯定してくれる人が現れたとしても、自分自身が「下手」だと認識している以上「お世辞」としか受け取れない。
また「下手でも構わない」と自分に言い聞かせて描くのもオススメできません。
それは自分で自分の絵を「下手」だと否定しながら描くようなものだから。
「下手だけど良いと思える絵」を目指すならともかく、「下手なだけの絵」を量産し続けても絵が嫌いになるだけです。
だからこれらの選択はただの自傷行為にしかならず、余計に苦手意識を強めるだけの「ハズレルート」なのです。
選択ミスその2:王道
2つ目は、他人に絵が上手いと認められるだけの画力を得ようと努力する方法。
この方法でうまくいくのは絵の才能がある人だけです。
上手くなろうと努力して誰でも上手くなれるなんて幻想に過ぎない。
上手くなる人はなるでしょうけと、上手くなれない人もいる。スポーツと同じです。
両者を分ける理由として「才能」という言葉を使うのは言い訳であり、上手くなれた人にとっては侮辱と受け取られるのが一般的。
しかし彼らの言う「正しい努力」も「十分な努力量」も、やろうと思えば誰でもできるというものではないのです。
僕が10年以上努力して「絵の上手い人」になれなかった理由が「努力不足」になるのなら、少なくとも僕には「十分な努力量」をこなすのは無理。
彼らが提示する「正しい努力」とやらを真似ても上手くなれませんでした。
そんな人間にとって「王道」はただの苦行です。
人前でも描けるものを増やす戦略
「下手でも構わない」と開き直ってもダメ。
「他人に認められる絵」を目指し続けるのも苦行すぎて耐えられない。
そうなると残る活路は「自分に認められる絵」しかありません。
そのために僕が考えた方法は次のようなものです。
知人に対面で「何か描いて」と無茶振りされる状況を想定し、あらかじめ描けるイラストを準備しておく。
自分が描けるイラストの中で得意なものをピックアップし、描き方を整理して再現性を高めておくという感じです。
スピーチの本番前に台本を作って練習しておくイメージですね。
「無茶振りされたらこれを描く」というストックを準備しておけば、「絵を人に見せたくない」と逃げる必要もなくなります。
「作品」ではなく「即興イラスト」なので、そこまでクオリティの高いものである必要もありません。
実際に人前でイラストを描くかどうかは関係ない。目的は「他人に絵を見られる恐怖」を乗り越えられるようになることなのですから。
ネットで公開するだけでは効果が薄いので、合格ラインを「他人に見せられる」ではなく「人前でも描ける」としました。
「人前でも描ける」と思えるイラストなら、最悪他人に認められなくても「自分に認められる絵=得意な絵」だと信じられます。
間違いの中に隠されし「邪道」
しかし、この方法論は「ハンコ絵」、「手癖」と呼ばれる、絵の上達の妨げになると一般的に言われているものの類。
恐らくプロイラストレーターの方などに言わせれば、「上達しない人の描き方」に分類されることでしょう。
でも彼らが示す「上達する人の描き方」とは「王道」のこと。
絵の才能がない凡人には決して歩めない道。ひたすら苦手意識を蓄積していくだけの苦行の道です。
凡人が歩めるのは「邪道」。彼らが肯定する方法論の中に自分にとっての正解がないのなら、彼らにとっての間違いの中にそれを探すしかない。
だから僕は「ハンコ絵」、「手癖」を肯定します。
まず「ハンコ絵」のようなパターン化を行ってアングルを限定した型を構築する。
型があれば反復練習が可能になるので、「手癖」を磨いて再現性を上げていけます。
結果的にそれらが「自分の描き方」のベースとなり、「得意」と思える根拠になりました。
実際、この戦略にシフトしてから絵を描く感覚は大きく変わっています。
今でも絵に苦手意識はありますけど、描いている時に「いい感じじゃん」と思える得意意識も育ってきたからです。
これのおかげでもう「自分にも絵を見せたくない」とは思っていません。
仮にこの方法が他人にとって「間違い」なのだとしても、自分にとっては「正解」でした。
結局のところ上達するかどうかは「才能」だけでなく、「描き方との相性」の影響も大きいのだと思います。
正解とされる王道的努力を続けても上手くなれる気がしないなら、まだ未開の間違いの中を探求してみましょう。
その邪道の先にこそ、自分に適した自分だけの描き方があるはずです。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
▲絵の苦手意識の根本原因は、自分の現状を否定しがちな「自己批判癖」にあります。
その改善策として僕が最も有効だと考える方法は、「セルフコンパッション」という心理学のテクニックです。
邪道戦略だけでなく別角度からのアプローチとして学んでみると、絵以外の色んな問題解決にもつながりますよ。
過去にこの本の考察記事を書いているので、興味があればまずこちらをご覧ください。
「セルフ・コンパッション」に学ぶ、自分の絵を認める方法【前編】
次の記事では「人前でも描けるものを増やす戦略」の具体的な実践方法を解説しています。
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