学校や会社などのコミュニティで日常を過ごしていると、多くの人が次のような悩みを抱くと思います。
この悩みは『相手をなんとかしよう』としても『自分をなんとかしよう』としても解決できません。
なんとかするためにフォーカスすべきは相手でも自分でもなく、『嫌い』という感情そのものです。
それを教えてくれた本『ひとを〈嫌う〉ということ』から得た学びをもとに、僕らが嫌われる理由を解説します。
嫌いをごまかしてるから理解できない
なぜあなたは嫌われてしまうのか。それがわからないのは『嫌いをごまかしているから』です。
『いやいや、めっちゃ嫌いな人おるから。ごまかしようがないレベルで嫌いに満ち溢れてるから』
そう思う人も多いかもしれません。しかしそれは我慢できない『大嫌い』なレベルの嫌いだけではないでしょうか?
『全然嫌いじゃない』と『大嫌い』というゼロと100の間にある『ほのかな嫌い』も嫌いとして認められていますか?
経験がある人もいると思いますけど、怒りや悩みは我慢したりごまかしたりを続けていると、他人の怒りや悩みを理解できなくなります。
『大人なんだから怒るべきじゃない』とか『悩むのは時間の無駄』と言い聞かせてそれらの感情をスルーしていると、他人の怒りや悩みの感情も無意識にスルーするようになるからです。
嫌いも同じです。
『嫌われたくないから嫌いたくない』とか、『あの人は苦手なだけで別に嫌いではない』などと言ってごまかし続けていると、なぜ自分が他人から嫌われているのか理解できなくなります。
嫌われている理由を理解したければ我慢やごまかしをやめて、嫌いという感情の理不尽さと自然さを味わい尽くすしかないのです。
とりあえず全員嫌ってみる
ごまかしをやめる方法として、僕が有効と考えるのは『とりあえず全員嫌ってみる』です。
この世に好きなだけの人、嫌いなだけの人なんていませんから、全員嫌おうと思えば嫌えるはず。
嫌いじゃないと思ってる人達に対しても抱いている『ほのかな嫌い』を一旦まとめて認めてしまう。
好きな人・嫌いな人の区別をなくして全員平等に嫌うなら心理的抵抗も最小化されます。
カンタンなので今からサクッとやってみましょう!
言い訳できないよう言語化してしまうのが大事なので、ノートやメモアプリに書き出しながら分類してみてください。
Lv1:無関心
これは『他者▶自分』ではなく『自分▶他者』の無関心です。別に相手は何も悪くないけど、付き合うメリットがないので気遣うのが面倒くさい。
興味を持てない相手との義理付き合いに自分の時間を奪われる。ただそれだけでストレスを感じてしまう。
もっとも理不尽ながら、興味がない人とも付き合わなければならない社会の中では日常に溢れる嫌いの原因です。
Lv1:期待
勝手に期待して、勝手に裏切られて、勝手に嫌いになる。
ちゃんと興味を持てる相手だからこそ期待してしまう。これも相手は悪くない。
分かっていても止められない理不尽で自然な嫌いの原因。
Lv2:嫉妬
最初は憧れだったかもしれないけど、気づけば自分の劣等感と焦りを喚起する嫌いな人になっている。
非がない相手の没落を願ってしまう己の醜さを喚起するから嫌い。会うだけで心の平穏と自信を奪われるという実害もあるから嫌い。
Lv2:軽蔑
嫉妬は劣等感、軽蔑は優越感を喚起する。だから別に苦しくはないし、むしろ快感ですらある。
でも自分が向けられたら絶対嫌な『見下し』や『差別』の感情でもある、一番認めがたい己のダークサイド。
『嫌われ者』の痛みや悲しみを誰よりも理解していようとも、同じコミュニティ内で自分より嫌われている人を軽蔑してしまう。そんな最低な自分を自覚させるその人が嫌い。
Lv2:警戒心
嫉妬も軽蔑もしてないし、仲も悪くないはずなのになぜか一緒にいて安心できない人がいる。
過去のトラウマか、価値観にズレを感じるからか、油断したら自分の弱みやコンプレックスを攻撃される気がする。
根拠はなくてもそんな不安や緊張で疲れるから嫌い。
Lv3:軽蔑されてる感
具体的な危害を加えられてるわけじゃないけど、相手の言動に無礼さや見下しの気配を感じてイライラする。
嫉妬されてる感じは優越感を伴うので嫌じゃない。でも軽蔑されてる感じはとにかく不快。
ただの被害妄想と言われようとも、そう感じるんだから仕方ない。当然嫌いになる。
Lv3:嫌われてる感
嫌われてる『気がする』だけ。なんだか態度がよそよそしい。拒絶されているような、避けられているような『気がする』。
そう思っちゃったんだからしょうがない。存在を否定された気がして悲しくなるので嫌い。
Lv4:生理的嫌悪感
その人を嫌うのに理由なんていらない。『嫌いだから嫌い』なのであり、その人の短所に限らず長所も含めて全てが気に入らない。
『坊主憎けりゃ袈裟まで憎し』の境地。
Lv1~3から始まった嫌いを我慢してると、脳は相手のネガティブ情報を自動収集して被害妄想を膨らませ、最終的にここまで成長する。
全部嫌いなんだから理由なんてあってもなくても同じこと。言語化するまでもない感覚レベルでの嫌い。
「嫌いとはどういうものか?」を知りたければその人を思い出せばいい。
これらがあなたが『他人を嫌う理由』であり、かつ他人から『あなたが嫌われる理由』です。
ワークをやってみたらわかると思いますけど、他人を嫌うのに具体的な理由なんて必要ないのです。
相手が何も悪いことをしてなくても、ただ嫌いたいと思えば嫌える。どんな人間にだってケチはつけられるので、理由なんていくらでも後付けできます。
だからどんなに尽くしても嫌われるし、逆にどんなに尽くされても嫌える。
まずはその理不尽さを自分の心を通して実感しましょう。
嫌いをごまかさない人間関係
『あなたが嫌われる理由』はあってないようなものなので、『嫌われない方法』なんてありません。
具体的な心当たりがあるケースを除けば、一度嫌われたら自力で『相手の嫌いを解消する方法』もないのです。
『じゃあ、嫌われる理由なんて知っても意味ないじゃん・・・』
と、落ち込むのはまだ早いですよ!
全員嫌えたならもう嫌いをごまかす必要はありません。全員嫌いな部分もあれば好きな部分もある、で構わないわけですから。
そうなれば『我慢』以外の新たな選択肢が2つ得られます。
a)我慢
なんだかんだ言っても我慢せざるを得ないときもあるでしょう。『大人な対応』ができないと社会で生きていくのは難しいですから。
しかし我慢だけでは100%行き詰まる。
『大人な対応』を厳守してるだけだと都合のいいストレスのはけ口、コミュニティ共有のゴミ箱になってしまうからです。
嫌悪やストレスなどの負の感情は、水のように上から下へ流れていく性質があります。強者▶弱者▶さらなる弱者という順番で。
そして最終的には『嫌と言えない人』のところに集まっていく。
我慢してるだけで嫌われずに済むならイジメは起こりません。
我慢が有効なのは『一時的我慢』のみ。
『慢性的我慢』を選んでしまうとゴミ箱になるか、より弱い者をゴミ箱扱いする人間になってしまいます。
b)距離感調整
どれだけ尽くしても嫌われるのだから、下手な和解努力は諦めて距離を取ることも必要です。
逃げるのが最も自然でスマートな嫌い方。
自分が嫌いな相手にも無理に改善など求めず、イライラせずに済む距離感で付き合うほうがお互いのためです。
人間関係において好きは『引力』、嫌いは『斥力(反発力)』と考えられます。それらがうまく釣り合う距離感こそが相手との適正距離なのです。
嫌いを認めなければ調整もできません。それじゃ人間関係がストレスまみれなままなのも当然でしょう。
ただし我慢と距離感調整だけでも100%行き詰まる。
なぜなら職場や学校などの閉鎖空間では距離を取るにも限界があるから。
『ほのかな嫌い』程度の人とは問題なくても、『大嫌い』な人との適正距離が確保できません。限界まで物理的・心理的に距離を取ろうともストレスは蓄積し続けます。
スルー対応もネット上や赤の他人には有効ですけど、リアルでの知人の不快行動には無力です。
そうなると我慢し続けるのと同じなのでゴミ箱コース、もしくはコミュニティ離脱コースの二択に追い詰められてしまいます。
c)嫌なことには嫌と言う
『嫌われるのが怖い』のは群れ社会で生きる人間の本能として当然の感情。でもどうあがいたって嫌われるときは嫌われてしまいます。
だから最終的には『嫌われてもいい』と覚悟を決めて正面から立ち向かうしかないのです。
他人からの要求や言動に『嫌だ!』と感じたら、直接本人にその気持ちを伝える。
陰口や愚痴によって第三者から間接的に伝えるのではなく、直接伝えるからこそ意味があります。
目的は相手を変えるのではなく、『自分が我慢する関係性』を変えることだから。
自分の口から直接『嫌いの告白(もう我慢しねぇっていう意思表示)』ができればそれで良い。
でもヒステリックな感情爆発は我慢して冷静さは保つべきです。相手との適正距離を考慮して全力で礼儀を尽くし、『嫌だ!』をチューニングして適切な言葉を選びましょう。
ストレートすぎれば口論に発展するし、オブラートに包みすぎれば伝わらない。そこはもう実践を通して精度を高めていくしかありません。
しかしどんな結果になろうとも、何も言わずにストレスを溜め込むだけのゴミ箱になるよりは百億倍マシです。
『言ってもムダ』だと思っても、その意思表示ができただけで意味がある。
嫌なことに嫌と言ったからって結果が良くなったり人間関係が改善される保証はありません。
でも確実にその人との関係が前より嫌じゃなくなります。
まとめ
『嫌いの告白』を一度でもしてみれば、嫌いの感情とは本来、自分に都合の悪いもの、危害を加えてくるものから身を守るための免疫機能なのだと理解できるはずです。
免疫機能を封じていたらすぐ心を病んでしまうのは当たり前。
でもこの機能をうまくコントロールできないと、無闇に他人を傷つける嫌な人になってしまいます。
うまくコントロールできるようになるためにも、否定せずごまかさず、自覚的に人を嫌いながら生きていく必要があるわけです。
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あとがき
僕は『嫌なことには嫌と言う』を心がけるようになってから3年位経ちますけど、やっぱり言えないってケースも普通にあります。
それでも我慢し続けるデメリットを把握してからは、だいぶ『嫌だ!』を我慢して飲み込むことは少なくなりました。
『嫌だ!』という拒絶意思を比較的安全に伝えるコツは『質問返し』をすることです。
相手からの理不尽な要求、求めてない批判・説教・助言に対して『反論返し』したり、どう答えても怒られることが確実な質問責めに対して『説明返し』で対応すると、確実に否定で返され続けて潰されます。
でもそれは『自分の意見』を軸に話をしているからであり、ネガティブ意見に『質問返し』をして『相手の意見』を軸とした話にシフトすれば否定一辺倒の流れを変えられます。
相手も自身の回答まで否定したら自爆してしまいますからね(笑)。
それにただ疑問点の確認をしているだけで相手の意見を否定しているわけではないので、冷静さを保って礼儀を尽くせば平和的に話を進められます。(まあ否定目的の人は不機嫌になりますけど)
最終的に納得の行く回答をもらえたら拒絶しなくてよいですし、もらえなければそれを理由にお断りすればよいのです。
これは古代ギリシャの哲学者ソクラテスの『問答法』を参考にした対処法であり、どんな相手にも有効です。
どうぞ一度お試しあれ!
最後まで読んでいただきありがとうございました。
▲『嫌われない方法』や『嫌いな人との付き合い方』みたいな本はたくさんありますけど、『嫌いの感情そのものとの付き合い方』を書いた本は珍しい。
嫌いを受け入れるにはまず嫌いを知るのが有効です。
いつも他人の嫌いに振り回されているのであれば、読むだけで心の負担が軽くなると思いますよ!
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