真っ白な何も描いていない紙を目の前にして、「何を描いても良いよ」という条件でペンを握っている。
でも何も描けない。
「何か描きたい気持ち」はあるのだけど、何も描くものが思い浮かばない・・・
これまで絵を描いてきて、そんな経験をしたことはないでしょうか?
そしてあの瞬間、本当は自分には「描きたいもの」などなく、ただ絵の上手い人に憧れている空っぽな凡人に過ぎないのだと気づいて絶望したことは?
僕は真っ白な紙と対峙したときのあの絶望感やプレッシャーを「白紙恐怖症」と呼び、どうにか解消できないものかと長いこと考え続けてきました。
でも分かってしまえば解消法は実にシンプル。
白紙と向き合う前にちょっとした「準備」をするだけで良かったのです。
「描きたいけど描けない悩み」解消の最初の難題
前回の記事で取り上げた「描きたいけど描けない悩み」を解消するためには、まずはこの白紙恐怖症を攻略する必要があります。
絵を描こうと思った場合、一番最初に苦手意識を自覚するタイミングは「白紙を前にした瞬間」だからです。
一歩目すら踏み出していないフリダシの瞬間。特に「何を描いても良い」という条件の白紙。
ただ子供の頃のように「お絵描き」をしようと思ったとき、それができない自分に絶望する。
何かテーマを決めて作品を作ろうとしているときは、テーマに関する何かを描いて乗り切れないこともない。
それでも作品を作る以上、「今までとは違うアイディア」を求めるプレッシャーを感じてしまう。
だからこそこれが最初の難題であり、乗り越えなければ先に進めない課題なのだと考えます。
昔の僕はここを無視して無理やり作品作りを続けましたが、苦手意識が改善されることはありませんでした。
何作品作ろうとも、やはり白紙を前にした瞬間に恐れを感じる。
無理やり描き出してみても「うわっ・・・自分の絵、下手すぎ・・・」という自己評価に震えるばかりです。今回は描けたとしても、次回また描ける自信を持つことができない。
この難題をなんとかしようと試行錯誤を続けた結果、「人前でも描けるものを増やす戦略」に改善見込みを見出した次第です。
では、この戦略を具体的にどう活用すれば白紙恐怖症を攻略できるのでしょうか。
白紙恐怖症の原因
白紙恐怖症の原因は、絵の上達願望により高くなりすぎた「己に対する要求ハードル」だと考えます。
知人の否定評価を覆すために「他人に認められる絵」を描きたいと願う。
だから平凡でハードルを超えられないアイディアは即ボツ。もっと斬新でセンスのあるアイディアを求め、脳内で選別作業をしてしまう。
でもそういったアイディアは高い画力や表現力が必要なわけで、仮に思いついても実力が追いつかなくて出力できない。
そんな選別作業を繰り返しているうちに頭の中は真っ白になり、「何も描くものが思いつかない」という空っぽ状態になってしまうわけです。
ならば「己に対する要求ハードル」を調整できれば良い。
ハードルが高くなってしまうのは、目標が「他人に認められる絵」だからです。
この目標を「自分に認められる絵(=人前でも描ける絵)」に変更しましょう。
「準備」をする
「人前でも描けるものを増やす戦略」の具体的な実用法は次のとおりです。
この手法のメリットは、今何を描けばいいのかが明確になる点です。
想像した未来で自分が何に後悔をしたのか。そこを見れば現在の自分が何を「準備」しておけば「無茶振り対応」できるのかがはっきりわかります。
もし今までどおり「他人に認められる絵」を目標にしている場合、そのためにすべきことは漠然としており、今の自分に何が必要なのかも不明確。
わかるのは「とにかくたくさん描かなければならない」ということだけです。
いつたどり着けるかわからない遠い未来の理想目標より、近未来の「無茶振り対応」に向けて努力するほうが計画も立てやすい。
恐らく②の工程で模写、スケッチ、デッサン、クロッキーなどの基礎練習をしようと思う人は少ないはずです。
これらの練習を事前に多少やったところで、無茶振り対応力が上がる気はしませんから。
インプットを増やす、という選択肢もあまり意味はありません。
「描き慣れていないもの」のストックをいくら増やしたところで、脳内ハードルを超えられずに即ボツされてしまうでしょうから。
即興で「何か描く」ことが課題なわけですから、もっと簡単で即効性のある最低限のメニューで良いのです。
自分が「描き慣れているもの」の中で一つ「得意」なものをピックアップし、その再現性を上げるための復習をしておく。それで十分に対応力を上げられます。
ただ流石に、「無茶振り対応」として超絶技巧を披露したいという願望を抱く場合には成立しません。
リアリティは大事です。あくまでも「せめてこのくらい準備しておけば、堂々と対応できたのに…」という、最低限の後悔を抱いてください。
ここまでの工程により、目標達成のために必要な努力量が「とにかくたくさん」から「最低限」に大幅軽減されました。
またこの手法は「知人からの無茶振り」を想定しているわけですけど、1人で絵を描いているときに感じる白紙恐怖症とは「自分からの無茶振り」と捉えることができます。
白紙を渡され「何か描いて」と言われてうろたえる。そのときの相手が「他者」なのか「自分」なのかの違いでしかありません。なのでやることは同じ。
白紙を前にして何も描けない自分を知ったなら、フリダシの手前に戻って必要な「準備」をすれば良いのです。
「心の準備」をする
「人前でも描けるものを増やす戦略」を一言で表すなら、単に「白紙に向かう前の準備」です。でもそれが何よりの白紙恐怖症攻略法になります。
ちょっとしたスピーチでも、ぶっつけ本番と、事前準備をしておく場合とでは、頭が真っ白になる確率は全然違います。
ぶっつけ本番で問題ないと思えるのは、スピーチに苦手意識がない人だけ。多くの人は、何の準備もなしに、その場に立てば話すことが思い浮かぶなんてことはまずありません。
最低限の簡単な台本を準備しておくだけで、本番の安心感は全然違うでしょう。
絵においても「人前でも描けるもの」をちょっと準備しているだけで、絵に対する苦手意識は全然違ってきます。
人前で描く機会というのはレアケースかもしれませんけど、白紙を前にするのは毎度のこと。その準備が無駄になることはありません。
そして自分自身からの「何か描いて」という無茶振りに対して、準備さえしていれば堂々と応えられるわけです。
ここで重要なのは「準備」は完璧である必要がないということです。
そもそも完璧な準備というものは存在しません。どんなに時間をかけようとも何かしらの不備は残ります。
でもそれで問題ありません。「準備」をする真の意義とは、本番を迎えるための「心の準備」をすることにあるからです。
ぶっつけ本番で頭が真っ白になるのが恐い。だから安心して本番を迎えられるよう、残り時間でできる限りのことを「準備」する。
その「準備」の内容がなんであれ、それがちょっとでも整うことで安心感がちょっと増す。その積み重ねによって、不安を許容する「心の準備」が整っていくわけです。
だからそれが完璧でなくても構わない。できる限りの「準備」をすれば、やった分だけ意義があります。
「人前でも描けるもの」のストックはお守りみたいなもの。
白紙恐怖症や「絵を人に見せる恐怖」と対峙する不安な心を支えるためのお守り。「心の準備」によって獲得した「勇気」を与えてくれるものです。
ちなみに、作品作りのアイディアラフなんかも「準備」に該当するのかもしれませんが、序盤で書いたとおり「今までと違うアイディア」を求めるプレッシャーが生じてしまいます。
なので白紙恐怖症対策としては、難易度の低い目標である「無茶振り対応」の準備を試してみることをオススメします。
白紙恐怖症の攻略
白紙を前にしたら、まずは自分の「描き慣れたもの」を描きましょう。それだけで白紙は埋まっていきます。
自分が「得意」と思えるものであれば、自己評価も「いい感じ」になりやすいです。
それ以外のものは、途中で描きたいと思ったら描けばいい。
最初の一歩目さえ踏み出せてしまえば、その後は案外なんとかなります。もし再び手が止まってしまっても、また「描き慣れたもの」を描けばいいだけです。
「手癖で描くのは良くない」とか「ハンコ絵にならないよう色んな角度を練習すべき」とか、常に新しいアイディアを求める向上心も大事です。
しかしそれだけだと白紙恐怖症というプレッシャーに苛まれて、絵に自信のない人はどんどん苦手意識を募らせてしまう。
絵を楽しむには、もっと「描き慣れたもの」を大事にする意識を肯定していったほうが良いと思います。
自然とお絵描きを楽しめていた子供時代は、上達とか意識せずにみんな手癖で絵を描いていたはずですから。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
▲白紙恐怖症の攻略法が分かったら早速実践していきましょう!
準備に必要ならくがき帳を用意して「人前でも描けるもの」のストックを増やしていく。
マルマンのクロッキー帳は描き心地が良くて、一冊の容量が100枚もあるのでオススメです。
次の記事ではストックを増やす以外の「準備」について解説しています。