「自分の中に毒を持て」に学ぶ、リア充を爆発させる方法

岡本太郎と響の間で爆発するデュシャンの泉

この本を初めて呼んだのはもう10年も前になるのですけど、マコなり社長のYouTube動画で紹介されているのを見たのがキッカケで再び手に取ってみました。

昔は岡本太郎の言う「芸術は爆発」とか「自分の中の毒」が何かってことがよくわからないけど、とにかく挑戦意欲をかき立てられる本だったという印象でした。今回再読してみたら、昔わからなかったモノが理解できるようになっており、改めて彼のすごさを実感しました。

「爆発」とは何か

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岡本太郎といえば、太陽の塔を作った芸術家で、「芸術は爆発だ!」という名言が有名です。とりあえず言葉だけで十分にインパクトがあります。しかし、意味不明な印象も拭えないのが正直なところだと思います。

今回、再読していて、この「爆発」のわかりやすい具体例が2つ思い浮かびました。それは、「泉」と「響」です。

1.「泉」は爆発だ

「泉」とは、マルセル・デュシャンの作品で、現代アートの代表みたいなもの。恐らく誰もが一度は見たことがあるだろうあの「ただのサイン入り便器」です。

ぱっと見、ふざけているようにしか見えない便器。しかし、それまでの「芸術=美しい絵画や彫刻」という固定概念をぶっ壊し、見る人の思考・疑問を喚起して、その人の頭の中で完成するという「概念の芸術」を生み出したすごい便器です。

2004年の「世界の芸術関係者500人が選ぶ最もインパクトのある20世紀芸術作品」として、ピカソを上回る堂々1位に選ばれています。

確かに、デュシャンの意図を知った上で「泉」を見ると、その存在感は、美しい超絶技巧の結晶であるそれまでの芸術常識を吹き飛ばす「爆発」的なパワーを持っているように見えてきます。

2.「響」は爆発だ

「響」とは、柳本光晴原作のマンガです。天才女子高生小説家である「鮎喰 響」が「普通」に生活しているだけで、その圧倒的意志力によって周囲の人間の常識がことごとく吹き飛ばされていく内容。読んでいて爽快な気分になるのと同時に、正しさとは何か、を考えさせられます。

「自分の中に毒を持て」を読んでいて、正にこのマンガの主人公「響」の生き様こそが、「爆発」なのだろうなと感じました。

むしろ、「響」は「岡本太郎が現代に女子高生として蘇ったらどうなるか?」というコンセプトで描かれた転生モノなんじゃないかとも思えてきます。

ちなみにマンガの正式タイトルは「響~小説家になる方法~」です。これが「響~女の子に転生した僕は小説を書くことにした。小説も爆発だ~」というラノベ風タイトルに変わったとしても何の違和感もありません。

爆発的生き方

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本の中で岡本太郎は、どうしたら「泉」や「響」のような爆発的存在感を発揮できるようになるのかを示してくれています。

その方法とは「自分を殺す覚悟」を持つことです。

ここで言う「自分」とは、本書では「常識人間」と呼んでおり、本のサブタイトルにも「あなたは常識人間を捨てられるか」とあります。

僕はこの「常識人間」とは「過度な自己防衛本能」のことだと理解しています。死につながる恐れのある「危険」から自分自身を守るための生存本能。

これによって「死の恐怖」を遠ざけ、安全性を高めるほど、「生の実感」も希薄になっていく。この「常識人間」が虚しさの生みの親であり、人生をつまらないものにしている原因というわけです。

スキー上級者コースの急斜面に挑む時、下手をすれば死ぬかもしれないという「死の恐怖」と対峙させられます。だからこそ「遊び」と言えど真剣になり、本気の集中力が湧き上がってくる。この真剣さは、安全な初心者コースでは絶対に発揮されることはないでしょう。

人生においても「死」との対峙がなければ、「生」も希薄な「お遊び」で終わってしまう。その結果、価値がわかりやすい金や権力、ステータスで周囲と小競り合いをするだけの虚しい人生になってしまいます。

そんな虚しさを吹き飛ばしたければ、常識人間である「自分を殺す覚悟」を持ち、恐怖に挑むしかないわけです。

リスクという「毒」を飲み、恐怖と対峙しながら生きることで、思考や感性が活性化され、常識的な空気を吹き飛ばす意志力を獲得することができる。言わば概念によるドーピングですね。

恐怖との向き合い方

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とは言え、誰だって恐怖は避けたいものですし、実際にリスクは死につながっています。「対峙しろ」と言われて簡単に対峙できたら苦労はありません。

それに常識人間という恐怖から身を守る自己防衛本能を失ってしまったら、まともに生きて行けなくなってしまうかもしれない。

でも岡本太郎は、そんな不安にもちゃんと対処方法を示してくれています。その中で、僕が効果的だと思ったものを2つ挙げます。

恐怖と向き合うコツ
  • 「恐怖」は人類共通の課題と考える
  • 「無条件」で挑む

「恐怖」は人類共通の課題と考える

自分の挑戦から生じる「恐怖」を、自分1人の課題ではなく、人類全体の課題として対峙するという考え方です。

こう考えるだけで、誰にも理解されないと諦めていた孤独感が軽減されます。この視点で周囲を見渡せば、同じように他人に理解されない状況で「恐怖」と戦う同志の存在が見えてきます。

現在会社を辞めたいと悩んでいる人から見れば、YouTuberとして活躍する人達などは、自分達よりも早い段階で同じ「恐怖」に挑む覚悟を決めた先駆者とも言えるでしょう。

自分は1人ではないのだと、ささやかながら「恐怖」と向き合う心強さを与えてくれる視点です。

「無条件」で挑む

挑戦する上でメリットや理由をあれこれ考えず、心惹かれるものがあったらやってみればいいという考え方です。

僕は「自己満足以上を求めずに挑め」という意味だと解釈しています。他者貢献とか、他人から認められるためといった「他人のため」を動機の軸にすると、失敗した時のリスクが重くなります。

挑戦のハードルも上がりますし、義務感や見栄による負けられないプレッシャーで押し潰されてしまう。

だから、「やりたいからやる」という「自分のため」を動機の軸にし、「他人のため」の部分は結果的に生じる副産物、オマケとして捉えておくのが良い。

そうすれば、挑戦のハードルは下がり、失敗に終わったとしても負い目や恥を抱えることなく、やりたいことをやりきった爽やかな心境に至れます。

挑戦に求めるものを小さくすることで、恐怖心も小さくできる。日本昔話で学んだように、欲張り爺さんは破滅し、欲のない爺さんが成功しやすいというわけです。

「爆発」の実用案

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ここまでのポイント
  1. 爆発的生き方をするには「自分(常識人間)を殺す覚悟」を持って恐怖に挑むこと
  2. 常識人間によって自己防衛するだけでは人生が虚しくなる
  3. 恐怖は人類共通課題と捉え、無条件で挑むことで対峙しやすくなる

ここまでの話で、人生の虚しさを解消する「爆発」には、自分の安全性を守り続けるだけではダメで、リスクを取った生き方を選択する必要がある事が見えてきます。

しかし、これだけではまだちょっと実用しづらい。岡本太郎は「2つの選択肢で迷ったら、常に危険な道を選べ」と言っています。自己啓発とかでも聞いたことがある価値観ですが、なんだかその先にはベリーハードなだけの人生が待っていそうな気がして不安になります。

そこで最後に、僕が納得できて実用しやすい形に「爆発」をチューニングしてみました。

爆発実用案
  • 2つの選択肢で迷ったら「間違い」を選ぶ
  • 「間違い」とは、自分では肯定できるが、他者には否定される選択肢
  • 「正解」とは、他者には肯定されるが、自分では否定的な選択肢

僕は、岡本太郎の言う「危険な道」とは「間違い」のことだと解釈します。ここで言う「間違い」とは、一般的に選ぶと周囲の人達に否定される選択肢のことです。

常識人間に「間違い」を選ぶことは出来ません。だから岡本太郎は、「あなたは常識人間を捨てられるか」と問うているわけです。

基本的に人が迷うのは、常識的に考えて「正解」か「間違い」の二択です。ただの損得勘定だけで判断するのであれば「正解」を選べばいいはずです。しかし、それだけではなく、損をする「間違い」の側にも正しさを感じているからこそ迷う。

この時注意すべきなのは、「間違い=危険な道」なわけですが、「高負担な選択肢」というわけではありません。「低負担な選択肢」も、他者に否定され、リスクを伴う場合もあります。

他者は「もっと努力!」を推奨していても、自分は「無理はしない」が正しいと考えている。その場合、「間違い」は「無理はしない」を選ぶことです。それによって、他者からは怠惰な奴だと幻滅され、失敗を予測されるでしょう。実際、ペースは遅くなり失敗する確率は上がるかもしれません。

ただ、その恐怖に屈し、「正解」を選んだ先で無理が祟って失敗しても誰も責任を取れません。「もっと努力!」を選んだのは自分自身であり、他者を恨むのは筋違い。

結局、「正解」を選び続けた人生で行き詰まった時、その状況を打開するには、フリダシに戻って「間違い」を選んでやり直すしかありません。

この「実用案」であれば、「常に危険な道を選べ」に感じるスパルタ感を払拭した上で、常識人間を殺す選択肢を選ぶことが出来ます。

何か人生を賭けた挑戦を選ぶことができても、焦りに飲まれて結果を急ぎ、「高負担な選択肢」ばかりを選ぶのは危険です。

それで上手く行けば問題ないのですが、この本のタイトル「自分の中に毒を持て」にあるように、常識人間を殺して許容するリスクは「毒」なのです。確かに適量の「毒」は、虚しさを消し去る「薬」になる。しかし、その人の許容量を超える「毒」は死につながるわけです。

直接的に死ぬわけではないにしても、体や心を壊したりして、生命として死に近づくダメージを負ってしまう。一時的に界王拳3倍の無理ができたとしても、その反動は必ず来ます。変化が急であるほどリバウンドも強力。

リスクとはそういうものだとわかっているからこそ、人は全力で自己防衛本能を働かせて死を遠ざけるのです。

そういったリスク管理を考慮し、僕は「迷った時は常に危険な道を選べ」を、「迷った時は常に間違いを選べ」と解釈して「爆発」を活用していこうと思います。 

「間違い」を選ぶからには相応の覚悟と信念が必要になるでしょう。きっと多くの人から否定される。でもそんなモノは選択の時点でわかっていたこと。「間違い」を選んでいるのだから否定されるのが普通です。

でも自分の中の常識人間に打ち勝った意志力が、他人の中の常識人間以上の力であれば、否定意見など相手の常識ごと吹き飛ばせます。

リスクを取り、恐怖と対峙することが「普通」の生き方になれば、恐怖に支配された、安全だけど虚しい人生は過去のものになる。

虚しい人生の中で「リア充爆発しろ」と他人のステータスを呪うのであれば、リア充になりたいけどなれない、でも諦めきれなくて「正解」の道を選び続ける、自分の中の常識人間と戦いましょう。

そして、「間違い」の道を選ぶリスク(毒)を、めちゃくちゃ薄めまくって構わないので、覚悟を決めてわずかでも飲むこと。それができれば、あなたの勝ち。飲めるはずがないと高をくくっている常識人間をワンパンで吹っ飛ばせるパワーが手に入ります。

あとは迷うたびに勝負の繰り返し。RPGの様に徐々に強くなる常識人間に勝利し、恐怖に挑むたびに意志力は磨かれていきます。気がつけばあなたは、頭の中のリア充も、外の常識人間も、彼らの常識ごと「爆発」できるだけの圧倒的意志力を獲得していることでしょう。

まとめ
  • 「爆発」を味わいたければマンガ「響」を読もう
  • 「毒」を適量化するために、迷った時は常に「間違い」を選ぶ
  • 「リア充を爆発させる方法」は、恐怖に挑み、自分の中のリア充像(常識人間)以上の意志力を獲得すること

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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